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小林 哲也(こばやし てつや、1943年〈昭和18年〉11月27日 - )は実業家。近鉄グループホールディングスおよび近畿日本鉄道(近鉄)の会長(近鉄社長としては大阪電気軌道創立から15代目)。また、2004年をもって解散したプロ野球球団・大阪近鉄バファローズ最後の球団社長でもあった。 ==来歴・人物== 大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業して1968年に近鉄入社。 2001年に取締役に就任(営業推進本部副本部長兼伊勢志摩支社長)、2003年に常務取締役に就任した。同時に社長に就任した山口昌紀のもと、採算が悪化していたレジャー部門の再建を任され、近鉄あやめ池遊園地や近鉄劇場を2004年に閉鎖した。また、同年には大阪近鉄バファローズの球団社長に就任、球団をオリックス・ブルーウェーブに譲渡する(吸収合併させる)ことを発表、プロ野球再編の主役の一人として、厳しい批判を浴びながらもこれを強行した。なお、これらのリストラ策もあり、レジャー部門は2006年3月期の決算で黒字に転換し、一定の成果を得ている。 球団合併(プロ野球再編)でのイメージが強く、「悪役」的な印象をもたれがちだが、小林に対する周囲の評価は「気のいい大阪のおっちゃん」(大阪近鉄バファローズの球団CMに参加した大西ユカリ評)と決して低いものではない。むしろ小林は、球団譲渡先であるオリックス側が批判の矢面に立つことのないよう自ら進んで「悪役」を買って出ていた節もうかがえ、問題が泥沼化していくにつれ、終始飄々と振る舞うオリックス・小泉隆司球団社長とは対照的に苦渋の表情をみせることが多くなっていた(この対比について、テレビ朝日「報道ステーション」キャスター・古舘伊知郎は、たびたび小林と小泉を取り違え、「笑顔の近鉄・小林球団社長」などとコメントしていた)。小林自身も、本社社長就任(下述)時のインタビューに対し、あらためて「つらかった」と述懐している。なお、大阪ドーム移転時(当時球団営業部長)には各応援団にバフィ旗を球団として寄贈するなど、当時の近鉄幹部に於いては上山善紀に続く数少ない「バファローズ好き」であった。 2005年には専務取締役に昇格(ホテル・レジャー事業本部長兼流通事業本部長)、2007年3月23日、山口昌紀の後任となる社長に就任することが発表され、6月28日の株主総会後の取締役会をもって就任した(山口は会長に就任)。社長就任後は景気が回復基調にあることも手伝ってか、山口よりも積極的な攻めの経営姿勢が随所に見られる(ただし攻めの経営姿勢自体は山口時代末期からのものである)。 なお、近鉄の社長で早稲田大卒の人物は小林が初めてで、私大卒での就任も佐伯勇の後任の今里英三(1973年5月 - 1977年6月社長、慶應義塾大学卒)以来34年ぶりとなる。また、営業部門出身であることも秘書部門出身が多い歴代社長の中では珍しい。 また、近鉄社長を務める他には2007年6月27日より毎日放送取締役、2015年6月25日より関西電力取締役をそれぞれ務めている。 在任中は特急車22600系Aceの投入、阪神なんば線開業による阪神電気鉄道との相互直通運転の実施、平城遷都1300年記念事業輸送、伊勢神宮式年遷宮に合わせ観光特急『しまかぜ』の運行開始、近鉄劇場再開発による上本町YUFURAや日本一の超高層ビルあべのハルカスの開業といった事業を推進した。 近畿日本鉄道の持ち株会社への移行に伴い、2015年4月1日よりスタートする近鉄グループホールディングス会長および鉄道事業を継承する(新)近畿日本鉄道会長に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林哲也 (近畿日本鉄道)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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